自転車圏内の幸せな暮らし


私の暮らしは自転車圏内でほぼ成立します。むしろ、その圏内でいかに上質でセンス良く暮らすか。

どこでもできる暮らしではなく、そのエリアに「暮らす意味」を見つける面白さを感じています。


例えば野菜などの食物は、根をはり育つその土地や風土に合わせて成長し、その土地ならではのものになります。私たちが住む場の環境に合わせてより良い暮らしをつくろうとするように。だからその土地で育つものを、生産者や料理人がわかる環境で食すことは、暮らしに合った食となり、必然的に質が高まると考えています。食べ方、コミュニケーション、空間含め、土地に根付く食を文化的に味わうことで、その豊かさが感じられます。

何にしても、その土地とともに育つ人やもので、自身の営みを形成していく選択は、「本質的な質」の高い生活をつくることに繋がるのです。


「隣の芝は青い」のです。

新潟がつまらないという思いと都会へのあこがれで東京へ飛び出した私。当時は都心で「都会的な暮らし」をしているつもりでした。振り返ると、東京での私の暮らしは今の新潟でもほぼ同じ暮らしができるのです。

大きな規模や流通によるものが集積する東京で、全国的で画一的な生活スタイルにお金を投じていました。東京で私の暮らしを形成していたもののほぼ全てが、今私が住んでいる新潟にあったことに、東京を去ってから気づいたのです。つまらないと思って飛び出した土地でもできる生活しか、できていなかったのです。

そんな経験から、今は新潟にしかないモノ、コト、何よりヒトを楽しむことに重きを置いています。あるモノの良さを見つけだし、かっこよくて魅力的な人とともに暮らしを創ることで、この地に暮らす意味を日々積み重ねています。


つまらないと思ったら自分でつくれば良いし、面白いものは掘るほどに出てきます。毎日が宝探し、毎日が発掘作業ですが、今のところわりとヒットしてます。

わざわざ電車に乗って人気コーヒーチェーンには行かなくても、行列ができる日本初出店に行かなくても、自転車圏内にあるものだけで質が高く人としてかっこいい暮らしをつくれると本当に思っています。

もちろん物足りない部分もありますが、逆にあるものの価値に気づいたとき、幸福度はかなりアップしました。どんな小さな価値でもよいと思います。心から美味しいパン屋、心地よいレストランやカフェ、風景や自然。腕の良い職人や粋な大人。自分の感覚で、その場にしかない価値を感じ取れたら、暮らしは自ずと豊かになっていきます。


言いたいことは、自転車圏内の狭いエリア内に価値を見出し、生き方の質を高められることが豊かな暮らしだということ。そしてどんな場に住んでもそれは実現できるということ。

ちなみに私の愛車はGIOSのSTILO。新潟の道は自転車には優しくなく、何度もパンクを繰り返しますし、もちろん雪も降ります。

でもパンクでも雪でも、何とかなります。その暮らしは、徒歩圏内でも成立するのですから。


SHU.

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